2009年3月31日火曜日

スピリチュアルマインド

最近はゲリーの影響ですっかりスピリチュアルマインドに戻っている私です。
しかし、スピリチュアルマインドも困ったものでありまして、春の陽気も手伝い、気を抜けば「ぼけ〜っ」と、してしまいます。いかん、いかん・・・まだこの世は「分離(セパレーション)」の時代。と、自分に言い聞かせ・・・現実、仕事もしないといけないので、二元性の中スピリチュアルを楽しんでおります。

あれからまた何冊かスピリチュアル本を読みました。
(徳間書店の五次元文庫、ヤバイです)

その中のゲリーの言葉に、こんなのがありました・・・
「人間の凄い所は、無限の大きさを持つ(意識)という巨大なエネルギーをこの小さな体(器)にとどめていると言う事です」と。
そんな方向から、この件を考えた事が無かった私はその言葉に大きなショックを受けました。そして気が付けば目をつむっていました・・・。
真っ暗な瞼の裏側に広がる暗黒は正に宇宙そのものの様な気がしました。その暗黒は無限の広さを持ち、想うがままでありました。何処にでも行けたし、何にでもなれました。
こ、これがゲリーの言う、意識とは無限の広さを持つという事なのか・・と、勝手に解釈。改めて無限を実感できた瞬間でありました。

そして、何よりこれは全ての人間に言える事。老若男女、年齢問わず・・だから凄い!
言い方を変えれば、全ての人間はこの小さな体に全員、宇宙を持っているという事。(あの、果てしない巨大な宇宙が、この身長165センチの私の体にも入っている・・・お〜まいが〜)
そんな風に想いながら街を見回してみると、またまたおもしろい。いっぱい宇宙達が歩いています。ミクロはマクロ。マクロはミクロ。何だか嬉しくなりました。単純に・・・
「大きさ」というモノを勝手に決めつけているのは自分自身なんですね・・・

今後、「身長何センチ?」と聞かれたら、(もはやあまり聞かれませんが・・)
「本当は果てしなく無限に近いが、取り急ぎ165センチの体に入ってます」と答える事にしよう・・・。

2009年3月28日土曜日

2012

先日、久しぶりに、本屋の「精神世界」コーナーに行ってみた。
最近のスピリチュアルブームの影響か、数多くの怪しい本が並んでいる・・・(この怪しさが好きなのよ・・)
その中でも特に「2012」をキーワードにする本の多さにびっくりする。
「2012年まで、あと3年か・・・」と改めて心に言い聞かせる。この「2012年」というキーワードに始めて出会ったのは今からちょうど10年位前だ。ゲリーボーネルという人が書いた「光の十二日間」という本があった。この本との出会いは当時の私の思考を遥か宇宙の彼方にぶっ飛ばすほどの力を持っていた。180度考え方が変わり、生き方の道しるべとなって、今の私を創ってくれている。その本のテーマが正に「2012年」であった。

簡単に言うと、人類の意識は2億年前(2億年前って言ったら、恐竜時代でっせ!)からこの地球に存在していて、1万3000年という時間(期間)ごとに「合一(ユニティ)」と「分離(セパレーション)」という時代を繰り返している。というもの。もちろん現在は「分離(セパレーション)」の時代。私は私。貴方は貴方。という時代である。決して、全てが一つ!という時代では無い。そして、なんと、現在、今、は1万3000年続いて来た、「分離(セパレーション)」という時代の終わりの地点だという。だから、ゲリーボーネルは言う。間もなく「合一(ユニティ)」という今迄と全く違う、光の時代が来るので、それに備えよ。と。(そのシフトチェンジにおけるパワーが一番強まる時が、2012〜2013年だという)
何と、ドラマチックな話なのだろうか・・・当時、マヤの暦にハマっていた私は、一気にのめり込んだ(マヤの謎ともリンクしていた)

あれから10年・・・あと3年となった現在。正直なところ、期待と不安が入り交じる。
この時代(分離)しか知らない私にとっては、この時代は故郷であり、全てである。確かにこの世は納得できない事、信じられない事も多くある。しかし、善と悪があり、光と影があるこの世界。まんざら悪くない・・・そんな想いにかられていた近頃であった。

そんな事想いながら、本を見ていると、輝く一冊の本があった。
「新・光の十二日間」と書いてある。(マジですか〜!!)早速、購入。
新たにわかった情報などが加えて書いてあった。改訂版である。
しかし相変わらず、ぶっ飛ばしてくれます。宇宙の果てまで・・・
また新たに、光もいいね〜と想い直す。(単純・・)

本当にその時が来るのかはまだ誰にもわからない。しかし、この本を読んでいた。のと、読んでいなかった。のでは、大きな差が出るのは間違い無い。信じられない事、聞いた事の無い事、学校で教えてくれなかった事が数多く書かれています。とりあえず読んでおくにこした事は無い。
そして、今回、こんな事が書いてあった・・・
「光の力が強まると、闇の深さも増す」と。
まさに現在の世界情勢ではありませんか・・・

せっかくですから、全ての愛する者、全ての愛する仲間達と行ってみたいと想う今日この頃・・・

しかし、おとんとおかん、大丈夫かな・・・

2009年3月24日火曜日

テレポーテーション

「 五百万光年の彼方にある惑星マルディック。二つの月を有する、青緑に輝くその惑星には、どうやら大気も存在するらしく、雲が見受けられる。生命の源である水が存在すると言う事だ・・。青緑で二つの月があると言う事以外は本当によく地球に似ている・・。」

これを読んだ時、みなさんの頭の中にはマルディックのイメージが浮かんだ事だろう。宇宙の闇に浮かぶ二つの月を持った、青緑の惑星マルディックを・・・。光の速さでも五百万年かかるその場所に、イメージ(想念)だと、一瞬で行ける。実は光よりも速いモノが存在する。それが「想念/想い」である。想いは自由であり、無限であり、無料である。

私は最近、この想念という力の存在が気になり、よく考えるのである。
しかし、想念というモノも、ただ想うだけではなかなか現実になりにくく、現実にならないものは実感がわかないモノである。そこで想うのだが・・恐らくそこには「信じる」という力が必要なのではなかろうか??「想い」に、強く「信じる」力がミックスされた時・・・それは「現実」になって現れる。

話は変わるが・・・
それを実感したのが、今日のWBC決勝でのイチロー選手のヒット(延長での)。
日本中から、遥かアメリカへ注がれた数百万の「想い」と、彼への「信じる」力が最高の現実を生み出した。彼は最後のインタビューで、「神が降りて来た」と語った。その「神」こそ、皆の想念の塊だったのではなかろうか・・・


私達は何処へでも行ける。はず。

2009年3月12日木曜日

なでしこ



最近、珍しく女性の草履を作る事が続いた。
( 私の草履の8割は男性からの発注である )
女性の草履を作る事。女性に対しモノを作る時、いつも決まって私は相当のストレスを感じる。
しかし、そのストレスは決して嫌なものでは無い。ある意味「未知の領域への挑戦」への「不安」と言ったほうがいいかも知れない。男である私に、はたして女性を納得(満足)させられるモノが作られるのか??という想いにいつも悩まされる。
比べて、私にとって男性用の草履を作るという作業は非常に容易な事である。なぜか??
それは私が男であるからで、私の中にある「かっこいい」を全てぶつければいいからである。
そこには、「かわいい」はいらない。かっこよければいい世界なのである。
しかし、未知の領域である「女性」という世界には、それだけでは通用しないモノがある。身近でありながら、人生で一度も体験した事のない「女性」という生き方・・・感性。
わからない事だらけである。
どんな強い男も、強がっている男も女性から産まれるという事実。人間という生き物を産み出す地球も言い方を変えれば、我々にとっての「母」であり、「女性」であるはずだ。
考えれば考えるほど「女性」という存在がデカくなり、わからなくなる。

そして、願わくば女性は男性よりも「美しく」あってほしい。それは表面上だけでは無く、内面的にも・・・。
だから私は女性の草履を作る時、頭の中で「美しく・・美しく・・美しくなれ〜・・美しく・・そして、可愛く・・可愛く・・可愛くなれ〜」と、イメージする。
これを少しでも怠り、無意識になってしまうと、私の中の「かっこいい」イメージが無意識に現れ、「かっこいい」ベクトルに傾いてしまうのである。
私は想うが、「かっこいい」は男性の専売特許であり逆にこの領域には女性に入って来てほしくない。( その最たるモノがROCKである )
その分、女性は「美」という最高の世界に生きる事が出来、そしてそれが許される。

話はそれたが・・・
私にとって女性の草履を作るという事は、「美」という、私にとって未知であり、そして憧れの世界に貢献できる(かも知れない)作業なのである。

そんな事を考えながら・・・
最近、女性用の草履に「なでしこ」という名を付けた。


追伸:
ちなみに、なでしこジャパンとは一切関係ありません。